袴も着物も私が大学の卒業式で着たものです。20年以上も前のものになります。袴は157㎝の私の身長に合わせて作ったので、163㎝ある娘には少し短かったのを母がギリギリまで丈を出してくれていました。母が亡くなる一年ぐらい前のことです。洋裁が趣味だった母は和裁の腕もたちました。娘のこの姿を母に見せることができなかったのが心残りですが、母は自分の最後の手仕事の成果を天から見てくれているでしょうか。孫娘のこの姿をどのように見ていてくれるのでしょうか・・・ 私や妹がはいた袴を娘が着ている姿を。
バッグは無地の着物の余り切れで私が若いときに作ったものです。まだまだ使えます。
髪は短く切ってしまっていたので、中途半端な長さになってしまいました。もう少し長い方が良かったのですが。短めのハーフアップにして、絞り風のリボンを作り、とめました。成人式とは違い、学業を終えて旅立つという意味を大事にして髪飾りは質素にしてみました。
振袖の時もそうでしたが、最新流行の袴姿とは一線を画しています。袴にまで柄が入っている、あれは一体何なんでしょうか? 宝塚ならさしずめ緑の袴でしょうが、演劇人でもない素人の娘さん達が柄の入った袴など、私は呉服屋さんに抗議でもしたい気持ちになります。
無地の紺地(母は花紺と呼んでいました)の袴に姫蔦の紋入りの洗朱の無地の着物で卒業式に出席する・・・それは和裁をしていた母の影響や若いときに読んだ数々の文学作品に啓発されたからなのでしょう。最近、舟橋聖一の「悉皆屋康吉」を読み直したのですが、この作品には現代でも通用する言葉が溢れています。『・・・時流に媚びることに、一生かかって、夢中な人もいる。当人は、結構、それを情熱だと思っているんだから、余計、始末にわるい』
また、この小説の中には色を表すときの様々な名称が挙げられていて、日本人の繊細な色彩感覚を改めて実感します。納戸色でも、鴨川納戸、深川納戸、鉄納戸、花納戸、藤納戸・・・
懐古趣味だと言われようと時流に流されない審美眼をもった人間であろうと努力したいし、また、娘達にもそういう人間になってほしいと思います。
ともあれ、無事に卒業式を終えました。これからは自分の選んだ仕事を情熱をもって全うしてもらいたいと思います。
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